自分の子供に

何かして欲しい。
こうあって欲しいと、思うところから、注文を出すことがある。
が、言い方は、本人の視点からみた、解決法としている。
どこまで、本人達の視点にのぼって合わせられるかは、
親の想像力と、経験の豊かさや、時代への適応などに関わってくるような気もするが、まあ、やっぱり、よく分からない。

先日、子供達の母親の誕生日を迎えた折には、
学校から帰ると即、ケーキのスポンジ作りから、
手巻き寿司のネタ&一式用意まで、4時間以上をかけて
全て小学5年の長女をリーダーに、3年の長男と2人で
完璧に用意できていた。
まあ、最後に運悪くガラス容器を落としてしまって、
ケーキスポンジについては破片が入ったので、無念リタイアだったが、
その脱力の危機を、泣きはしたが乗り切って
ハッピーバースディまで完投したのは、素晴らしいと感服した。
誰かの喜ぶ姿のために、懸命になれる。とか
悲しい顔をつつむように、気を使う優しい部分とかに
溢れる素晴らしい子供達だと思うが、
人間的な部分以外の、特に自分の利益になるようなことには
ひたすら無頓着な印象。

まだ小学生なんて、ひよこに殻がついてるような状態だから
特に目頭たてるつもりはない。と言い聞かせつつ
そっちの方も気にならないことが、全くないと
いった困った親になっているですよ。今も。あたしは。
なるべく、子供の観点で、
子供の思考を損得も含めた、設計的な方向に持っていきたいと
なるべく、子供の観点で、といいつつ
つい欲張って狙ってしまうのは、いやらしい親なんだろうか?
などと、もう長い間、悩みながら、説教をたれる日々。

というか仕事から帰ると寝ちゃってるので、
稀にしか真剣に見てやれてない、悲しい生活リズム。
対策を考えよう。