初老だってさ

僕より3ヵ月早い生まれの奥さんが先日、誕生日を迎えた。40歳。

スキヤキをした。奥さんが自分で肉、準備して料理して。誕生日だからいいかなって、宝くじも自分へのプレゼントに買ってた。10数年ぶりじゃ。

当たるかな?なんて楽しく待つ時間も含めて宝くじで遊ぶ文化の家庭で育ってきた奥さん。我が家ひさびさの宝くじは全然問題ないのだが、長女と私が同時ではなく、別のシチュエーションで「絶対当たらんからね」「2700円捨ててきたなあ」とユーモアのない台詞を投げてしまったもんだから、誕生日なのに落ち込んでた。すまんかったなあ。

40歳。不惑。初老。と呼ばれるらしいが、奥さんいわく「私は全く「40にして惑わず」ではない。むしろ、惑うことが増えつつあるある。」と元気なかった。

悩んで落ち込んで、卑屈になって自暴自棄になって、疲れて、忘れて、乗り越えていっちょやったるか!ってやって自信つけて、自惚れて、自惚れてることにふと気づいて、落ち込んで、卑屈になって...と繰り返すものだなあ。と人間という生き物を客観視できる部分なんか前に比べると、よりでてきてて、その点では多少「不惑」になってきてる気もせんでもない。

まあ僕らくらいピチピチ(80分の40歳)が初老なら、もし老人の入り口。だったら、今の高齢化社会問題はどーにもならんですし、昔は昔でそういったかも知れんが、現代は40なんて不惑を少しみにつけた精神版成人式くらいなものです。

ただ「かさぶた」の治り。が遅い。んだよなあ。
あと「おしっこ」のきれ。
きんたまの伸び。も。