ともだちとじぶん

今年の後半は、自分の経緯を意識する機会が多い。無我夢中で一心不乱に背水の陣で、なんだか随分やってたようなつもりになってた。そんな自分をまたちょっと客観的に見てる自分に気づいた。

それは昨年、上司と意見がバッサリ分かれてから。
やっぱり組織の一員だから、僕一人がどう正しいと思おうと、それが実現できる具体性と勢いを持ち合わせて、周りの人を納得させる。というか、そういう意識に誘引できないと、思う方向に向けられない。

「そっちが良さそうだけど、でも、どうやったらできるのよ?」
「その設計図は、まだ具体的ではない。」
「けど、こういうアイデアはどう?こっちのアイデアもある。」
「欠片はたくさんあるんだよ。何とかなりそうじゃない?」
「うーん、想像できない。現実的でない。」

現状を一歩飛び出して、未来のために、とびっきり新しいことをするには、常識を逸脱するほどのシャッフルが必要だと思う。といった純粋な頭で、真面目な顔してたんだけど、そんなこと思う僕が僕自身で、具体的な設計図を描かないと、そりゃ何にも進まない。いつまでも完成しやしない。けど、そんな悠長な時間もない。

「今までのと同じで、それでいいの?」
「良くはないけど、それはとてもシンドイことである」
「現状の延長戦を続けながら、少しづつ変えていけば?」
「その意気では、新しい物は生まれないし、ペースが遅すぎる」

しかし、考える暇と、考えたものを実現する手段の勉強の時間がない。ので、延長線上を手伝いながら、地道に設計図を完成させていかなくてはならない。そうでないと仕事が続けられなくなるぞ。と、サラリーマンとしてやるべきこと。サラリーマンながらクリエイターとしていくべきところ。を右往左往していた。そんな所に救いの手を頂いた。実現性は薄いが、魅惑である形にチャレンジする時間とお金を与えてくれるスポンサーがついたのだ。

それは長年、頭1つを抜け出したい。とモチベーションの最終地点を設定しつづけてきた僕にとって、ステージに上がった状態。でしたので、もう、やるしかない。人は色んなことで、悩んだり喜んだりを繰り返し、生きてくけど、今は設計図を、今想像できる中で、具体的に書きまくるしかない。手を動かすことによって、しか、生むことができない。僕のような絵描きには。

と、追い込まれてやってた。家族にも、周りにも、愚痴のような、強がりのような、退廃的なような、色んな言い回しを巻き散らしつつ、何とか精神のバランスがとれた。色んな人に助けて貰えたので、続いた。その設計図がいよいよ形になるところ。が、今。

大げさに書いてるけど、まだ、設計図は全然できてない。未だにパーツを増やして変えて、増やして直して、を続けてる。最後まで続ける(終わることはない)だろうが。。。でも、今、組み合わせた物が、形になって出て行くことになる(その品質が一定以上であったらだけど...)そんな、今だからこそ、時間をかけて、フラットな頭の状態から、出していきたい。

夜考えて、朝思い直して、夜構築し直す。3〜4日もやると煮込まれる。どうやったって。その最後の3日が明日から。と思って差し支えない。

そんな今だから、数年ぶりのともだちや、新しい人と対峙する自分の姿を見て、自分が何者なのか?を今一度、なるべくなら把握して望みたい。と思ったから、ちょっと、会社だけにドップリ。から離れている自分がいるのか?と、仮説を立てている。今の自分。

ともだちに、日記書いてよ。言われて嬉しいので、書いた。
しかし、甘ったれた状況だと、書いて読み返して思う。客観的になってる場合か?! はよ、設計図、煮込め。何度でも。と自分の頭のてっぺんから聞こえてくる。しかし、眠いから寝る。さすれば、明日はきっと、すごいの浮かぶだろ。明日は凄いよ。きっと。明日は。

夜中に歌いたいんだけど、普通、大声で歌えない。大声で歌って疲れて眠りたい。いつか。変ですね俺。